富江町南部の低い溶岩台地上の海岸部に構築された砦状の遺構である。 人頭大の火山礫によって構築されたほぼ長方形の構造で、入口は1箇所、東北約27m、東南約40m、壁の高さ約3.6mの構造物がある。大工の勘次が構築したともいわれ「勘次が城」の称もある。倭寇の根拠地であったという口碑もあるが明確ではない。明銭の出土例があり、後者の説をとる研究者もある。所在地「山崎郷」は松浦党の田尾氏の所領であり、田尾氏との関係ある構築物である可能性がある。 大きな地図で見る